心を育てるもの
心を育てるもの
倉吉市教育委員会教育委員 西坂千代子
はじめまして
平成20年10月から教育委員の仲間入りをさせていただきました。義務教育の子育て世代ということで選任されていますが、倉吉市の教育に関しては日々勉強中です。この度リレーエッセイということなので、日頃感じていることをいくつか綴ってみたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
子育て支援NPOの一員として
私は、メディアスタート教育、0歳児からのアートスタート、トイスタート(コミュニケーション力を育てるヨーロッパ製のボードゲームの普及)に取り組んでいます。特にメディアに関しては、現在のように日常的にマスコミ等で取り上げられる以前から、様々な講演会や県外のフォーラムに出掛ける機会があり、最新の知識と情報を得る環境にありました。メディアといえば、今や教育現場でも食傷気味になる程繰り返し語られ、県教育委員会からの依頼で、学習会への講師派遣等の取り組みもされています。しかし、なかなか携帯電話などの普及率の増加には追いつけず、知識のないまま子どもたちの依存度が年々高まっていくことに危機感を抱いています。
発想の芽を伸ばす
境港市出身の水木しげる氏は、幼少期にお手伝いである「のんのんばあ」についてお寺に行き、用事が済む間、本堂の地獄極楽の絵を眺めては空想していたといいます。その空想から生まれた物語の数々が、境港市における将来のひとづくり・まちづくりの大きな核となっているのは周知のとおりです。
これまで子どもたちの「何もすることがない時間」から空想や発想の芽が伸び、形作られて、将来多くのひとに影響を与えてきました。そう考えると、今後はどうなっていくのでしょう。待つことの極端に少ない現代っ子は発想の種を生み出せるでしょうか。
天気のいい日、部屋に籠ってゲーム機を操る子どもは、ここ倉吉市内の小中学校でも、爆発的に増えています。ゲーム機の中のキャラクターは鮮明かつ精巧にデザインされていて、そのストーリーは完成されており、彼らの興味を惹き付けて止みません。気分転換にする程度であればそれほど電子ゲームを悪者にすることは無いのですが、問題なのは多くの時間がとられることなのです。近所の河原や夕暮れの公園であるはずの彼らの放課後の記憶や家族旅行での車窓の風景の記憶の大半が、ゲーム機の「小さな画面」の中の物語であるとすれば、人としての人格が育つことさえ怪しくなってくるような気がしてきます。その事柄の重大性に多くの大人は気付いているのでしょうか。一部の人は、危機を感じつつも、手をこまねいて見ているのが現状でしょう。日々「早く何かしなければ」と焦りを感じています。
倉吉市の教育にもっと特色を
倉吉市は、初対面の人でも話しているとどこかで共通の知り合いが出てくるという、良くも悪くもお互いの顔がよく見える範囲のコミュニティです。昨年開催された「小中学生淀屋サミット」では、天神川流域を菜の花でいっぱいにする「菜の花プロジェクト」が提案され、実際に市内各小中学校と公民館の協力を得て、各地域で種まきが実現しました。
たとえば、ひとりの発想から素早く市全体を変えていくことができるのも、小規模な都市ならではの魅力と言えるでしょう。つまり都会に比べて、一人の人間が影響を与えられる機会が多くあるということです。多くの影響を与えられる人物を育てるために、教育は何ができるでしょうか。倉吉市という、ある意味手頃な大きさの枠の中で、特色ある教育とは何か、何が子どもたちの目を輝かせるのかを考えたいと思います。心を動かされることがあれば、それが深い学びにつながります。子どもたちが仲間たちと楽しんで学校に通い、学べる機会を増やすことの一助になるよう努めていきたいと思います。
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コミュニケーション力をはぐくむボードゲームを体験するこどもたち