鉄鏃
郊家平1号墳
長2.8~14.5cm
古墳時代を通して埋葬施設に副葬される遺物のひとつである。特に6世紀になると中小規模の古墳に鉄鏃の副葬が一般化する。本例は、6世紀後半代の横穴式石室に副葬された鉄鏃類である。
この古墳からは鍔(つば)や柄頭(つかがしら)に渦巻き文を主体とした銀象眼(ぎんぞうがん)を施した鉄刀も出土している。
鉄斧(a) 鉄鋌(b)
a:屋喜山4号墳
a:9.5cm
b:高畔2号墳
b:17cm
鉄鋌(てってい)は、鉄製品の素材。長さ17cmほどの長方形の二枚の鉄板がさびついている。直径15mの円墳の箱式石棺近くから出土。鉄鋌は、畿内を中心に十数例が発見されているが、
山陰では唯一の例である。
蛇行鉄剣
頭根後谷(ずねごだに)6号墳
長44.9cm
形状からみて実用品でなく呪術的な儀器と考えられる。
直径18mの円墳の木棺墓に副葬されていた。蛇行鉄剣は、近畿地方と南九州地方に集中して発見されている。山陰では他に島根県斐川町、結(むすび)古墳で1例が知られている。
櫛
屋喜山9号墳
a長10.9cm、b長4.2cm、c長5.3cm
櫛は結髪の道具であるとともに呪術的な性格を帯びた祭具でもあった。本例は、箱式石棺に副葬された大小11個のうちの大型品。竹ひごを簾状に編み、これを中軸として曲げ横糸で固定した縦櫛である。漆膜面だけが残存する。
玉類
後口野1号墳、イザ原6号墳
弥生時代後半からはじまる玉類の副葬は古墳時代全期を通じてみられる。しかし時期により材質と形態が変化する。
出土古墳はいずれも5世紀後半代。後口野1号墳例は、出土状況から玉のつながり方が分かる数少ない例である。
鏡
a・cイザ原6号墳、b屋蕃山6号墳、
d清水谷1号墳、e小狭間
a径6.8cm、b径8.3cm、c径11.7cm、
d径7.2cm、e径7.7cm
鏡は現在のように姿を写す道具ではなく、その希少価値や神秘性から宝器・祭器として扱われた。鏡には、中国でつくられた舶載鏡とそれをまねてつくった仿製鏡がある。ここに取り上げた五面はいずれも小型の仿製鏡である。
土馬
クズマ遺跡
馬は、流(はや)り病を運び込むと同時にケガレを祓う役目をも果たすと考えられていた。人々は、土製の馬をつくり脚を折って流り病が取りつかないように願い、身のケガレを祓った。クズマ遺跡例は、いずれも飾り馬で、脚の欠けたものが多く完形品はない。他に手づくね土器も出土している。
【重文】 谷畑遺跡祭祀遺物
古代の人たちは、身近に存在する山・岩・樹木などの自然に「カミ」を見いだし信仰の対象とした「カミ」を祭った跡を祭祀遺跡といい、祭りに使った道具を祭祀遺物という。祭祀遺物には、ミニチュア土器である手づくね土器や人形・土馬、鏡や装身具などをかたどった石製や土製、木製の模造品がある。
倉吉市上神の谷畑遺跡は、土製模造品を主体とする祭祀遺跡である。150個以上もの大量の手づくね土器や人形・動物形土製品などがまとまった範囲から出土しており、その状況から祭りに使った後、使用した祭具を廃棄した場所ではないかと考えられている。