鬼瓦
大御堂廃寺
縦34cm
外形はアーチ形をし、下辺の中央には半円形のくり込みがある。全体に大きく鬼面をあらわし、左右の下方に腕と脚を表現している。鬼面は、眼をつり上げ牙をむきだしにした形相であるが、どことなく愛らしい。
軒瓦
大御堂廃寺
径16.5cm 幅33.5cm
大御堂廃寺は、7世紀中頃に建立されたと考えられる山陰最古の古代寺院。広大な寺域から、瓦類が大量に出土している。軒丸瓦15種類・軒平瓦5種類がみられ、軒丸瓦の多くは川原寺(奈良市)使用瓦の系譜につらなり、重弧文軒平瓦と一式である。
鬼瓦
伯耆国分寺
縦34.6cm
伯耆国分寺出土の鬼瓦は4種類ある。そのうち円頭梯形式の正方形で彫りの深い鬼面瓦は近畿地方ではみられない独自の鬼瓦である。
軒瓦
伯耆国分寺
径15cm 幅27.1cm
軒瓦は、文様からそれぞれ12種類にわけられる。軒丸瓦では、伯耆国分寺特有の単弁8弁蓮華文(620型式)が全体の4割を占める。この型式は他に石見・美作国分寺でみられる軒丸瓦645型式と軒平瓦680型式は平城京で使用された瓦と類似した文様をもつ。
円面硯(えんめんけん)
伯耆国分寺(a・b)・西前遺跡(c~e)
官人が用いた事務用硯。円形に盛り上がった陸部と裾広がりの台とを一体にし、台の上端には外堤をめぐらして海部をつくる。台には方形の透かし孔がある。dには透かし孔はなく、亀の頭に見立てた首部に筆立て用の穴がある。
墨書土器
伯耆国庁(ほうきこくちょう)
文字による情報の伝達は、行政をつかさどる国庁にあっては必要欠くべからぎるものであり、官人たちは木簡や土器に墨で字を書きつけた。「川村」は国庁の所在した東隣りの郡名。他に人名を記した墨書土器も出土している。
帯金具(左)
石帯(右)
伯耆国庁(ほうきこくちょう)
長4.3cm 長4.1cm
帯金具は、ベルトのバックル。銅製。C字形の一端に軸棒をとおして刺金を取りつけている。刺金と帯つなぎの軸とを一体にしてつくる。石帯は、官人が用いた革ベルトの飾り。位階・官位を区別する階級章でもあった。安山岩質で黒灰色の光沢をもつ。裏側には、ベルトに装着するための潜穴が3ヶ所あけられている。
八稜鏡鎔笵
伯耆国庁(ほうきこくちょう)
径11.4cm
国庁正殿近くの土坑から出土。細かなスサと細砂粒を含んだ粘土製。鏡の文様は、花と鳥をあしらった瑞花双鳥文である。鳥文近くに湯口があり、細い刻線が湯口の近くと反対側につけられ型合わせの印となっている。鏡文の様式から平安時代後期と考えられる。
塼仏(せんぶつ)
大原廃寺
縦5.3cm
仏像を浮き彫りしたタイル。型に粘土を押し込み半肉彫りの仏像をつくって焼成する。寺院の壁面などに貼りつけ堂内を荘厳する目的でつくられた。大原廃寺は、奈良時代の寺院で、講堂跡と推定される建物近くから出土した。如来立像を二段三列に配置した六尊連立塼仏の形をとる。
螺髪
大原廃寺
高4.3cm
塑像(土製の仏像)の頭髪。仏像の巻き毛の単位を円錐形の粘土粒で表現する。この螺髪は大きく、仏像本体は、丈六像(高さ約4.8m坐像であればその半分)であったと思われる。巻き毛は、右旋回し螺旋状に表現される。型づくりで量産された。
瓦経
大日寺経塚
横11.5cm
経典を粘土板に写経し、地下に埋めた経塚の遺物。倉吉市の西郊、天台宗大日寺旧境内出土。発見当初427枚があったという。このうちの幾枚かに延久3(1071)年と年号を書写したものがあり、全国50数か所ある瓦経出土地のうち年号のはっきりしたもののなかでは最も古い。