大御堂廃寺とは

山陰が誇る大伽藍と仏教文化 国指定史跡 大御堂廃寺跡

 

復元イメージ(CG)      

 大御堂廃寺跡は、飛鳥時代(7世紀、律令国家が始まった時代)に創建された山陰地方最古の古代寺院跡です。発掘調査で見つかった土器に書かれた文字「久米寺」から寺院名がわかり、伯耆国の役所(伯耆国庁)が置かれた久米郡の中心的な古代寺院です。
 敷地は、南北180m、東西135mと推定され塀によって区画されていました。中心部には、寺院のシンボルといえる高層の塔、その西に本尊を安置した金堂、それらの北に、経典の講義や説教を行う講堂、僧が居住した僧房が建っていました。金堂の正面が、東の塔を向くことが特徴的な建物配置です。
 発掘調査では、蓮の花や鬼の文様の亙(軒亙・鬼亙)、粘土で作られた仏像(塼仏・塑像)、銅製の匙・獣頭、仏具の鋳型などが出土し、往時のさまざまな寺院活動がうかがえます。なお、大御堂廃寺は平安時代(10世紀ごろ)まで存続したと推定されます。

 

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