上灘・成徳・明倫地区の文化財
上灘・成徳・明倫地区
所在地:仲ノ町 長谷寺
指定年月日:昭和63年12月19日
長谷寺の本堂内にある山陰地方における数少ない室町時代の建造物です。一重の入母屋(いりもや)造りで、屋根はこけら葺きの大型の厨子。鎌倉時代に中国から伝わった建築様式「禅宗様」で造られた特徴が多く見られます。
所在地:仲ノ町
指定年月日:平成19年4月27日
長谷寺は打吹山の中腹の天台宗の古刹。本堂は寄棟造の南にせり出した懸造で、五間四方の中世仏堂の典型例です。天正年間(1573~1592)の造営といわれます。仁王門は入母屋造の八脚門で、延宝8年(1680)の造営と伝わり、両側に仁王像を安置します。
所在地:仲ノ町 長谷寺
指定年月日:平成19年10月23日
本堂内厨子に安置された長谷寺の本尊で、像高101cm、室町時代後期の作です。髪を結い上げた頭頂部に如来の仏面を、その周囲に菩薩面を10個付けています。眼は玉眼で、眉間には光を放つという白毫を表しています。全体的に豊かな肉付きで左手に蓮の花瓶を持っています。ヒノキ材の寄木作りです。
所在地:仲ノ町 長谷寺
指定年月日:昭和31年5月30日
室町時代、南北朝の北朝の年号銘”明徳4年”(1393)があります。高さ85.1cm。当時鋳造されたものとしては古い作風を残しており、江戸時代に書かれた「伯耆民談記」に久米郡大谷村(現・大谷)の水田から掘り出されたものとあります。
所在地:仲ノ町 長谷寺
指定年月日:昭和32年2月6日(昭和45年9月1日、平成20年12月19日追加指定)
27件・大小49点。室町時代から明治時代までの風俗・庶民の芸術、民間信仰が描かれています。伝説の白馬の絵馬をはじめ、延宝5年(1677)に奉納された「歌舞伎絵図」(歌舞伎を描いたものとしては最古段階のもの)などがあります。
所在地:駄経寺町2丁目
指定年月日:平成13年1月29日
7世紀中頃につくられた山陰地方を代表する最古級の寺院跡です。「久米寺」という寺名で国府がおかれていた久米郡の郡名寺院であると推定されています。上灘小学校には柱穴径約87cmの塔心礎が移されています。
所在地:仲ノ町 倉吉博物館
指定年月日:令和3年6月18日
銅製匙 銅製獣頭
軒丸瓦 墨書土器「久米寺」
大御堂廃寺跡(国史跡)の出土遺物472点。豊富な種類の瓦や「久米寺」の寺名が記された墨書土器の他、銅製匙や銅製獣頭などからは朝鮮半島とのつながりを伺うこともできます。
所在地:巌城 山名寺裏
指定年月日:昭和6年11月26日
6世紀末に構築された直径18m、高さ6mの円墳。山陰最大級の横穴式石室(全長8.3m)をもつ。玄室内の奥壁に密着して遺体を納める石屋形(いしやかた)状の石囲いがあるのが特徴です。
・[国選定重要伝統的建造物群] 倉吉市打吹玉川伝統的建造物群保存地区
所在地:魚町・研屋町・東仲町・西仲町および西町の全域、
堺町1丁目・新町1丁目・新町2丁目および新町3丁目の一部
指定年月日:平成10年12月25日(平成22年12月24日拡大選定)
魚町・研屋町・東仲町・西仲町および西町の全域と、堺町1丁目・新町1丁目・新町2丁目および新町3丁目の一部の約9.2ヘクタール。地区を東西に通る本町通りと玉川の川端を中心とした商家の店舗併用住宅、土蔵等建造物群です。玉川に架かる石橋の景観が倉吉独特の歴史的景観であり、明治後期から昭和初期の建物が多く見られます。
・[国登録有形文化財] 協同組合倉吉大店会(旧第三銀行倉吉支店)
所在地:魚町
登録年月日:平成8年12月20日
明治41年(1908)に国立第三銀行倉吉支店として建てられた擬洋風建築です。明治38年に魚町・堺町一丁目周辺を焼失した火災後に再建されたため、額面や軒裏が漆喰で厚く塗られています。内部は一部が改造されていますが天井の飾りや階段などの建具は建設当時のままになっています。
・[国登録有形文化財] 小川住宅 六棟 (主屋、ビン詰場、旧仕込蔵、ふな場、二階蔵、三階蔵、道具蔵)
所在地:河原町
指定年月日:平成10年10月9日
明治から大正時代に建築された建物です。河原町通りに面して建つ主屋は和風の建物に洋風の接客空間を並立させた大正期建築の好例。蔵は床面を高くし地域の気候風土に合わせた造りが特徴です。鉢屋川沿いには水車がありました。
所在地:河原町
指定年月日:平成22年8月5日
住宅の前庭・中庭と別区画の環翠園で構成されます。昭和5年頃、神戸の庭師巽武之助が手がけたといわれます。環翠園は池泉回遊式庭園で、園外の打吹山や水道山の十三重塔が眺望できます。茶亭「南山荘」には、菅楯彦が昭和20~22年に疎開していました。個人の近代庭園の作例として山陰屈指のものです。
所在地:河原町
登録年月日:平成30年11月2日

主屋
本通り沿いに北面して建つ乾物販売を営んだ商家。主屋は切妻造りの総二階建てで、柱の高いつくりや正面二階の大きな掃出し窓、手すりの意匠などに昭和前期の傾向が現れています。通りと川が交差する角地にあって、主屋背面に建つ土蔵とともに商家町の歴史的景観を形成しています。
所在地:河原町
登録年月日:令和3年6月24日
八橋往来に面して建つ町家。明治35年(1902)の建築。倉吉町の商業最盛期に建築、使用された店舗兼住宅で、当時の倉吉の町家の様式をよく伝えています。
所在地:新町2丁目
登録年月日:平成13年8月28日
主屋等の宅地の北側、玉川を挟んで建つ蔵です。土蔵造平屋建。石州瓦葺。明治時代後期の建築されました。
所在地:余戸谷町
登録年月日:平成14年12月6日
入口上部の切妻に水道マークと植物の浮彫をあしらい、ベランダ壁面に「萬斛泉(まんこくせん)」の石額を掲げた擬洋風建築です。倉吉最初の上水道施設で昭和7年に開設されました。量水室はポンプ室から東へ100m。ともに鉄筋コンクリート造平屋建です。(写真は左からポンプ室・量水室)
所在地:西町
登録年月日:平成18年4月12日
本町通りに北面する木造2階建、桟瓦葺の伝統的な町屋です。離れは渡り廊下で接続し、熟達した和風の造形。主屋は明治33年、離れは昭和5年の建築です。(写真は左から主屋、離れ)
・[国登録有形文化財] 丸井家住宅(主屋、離れ、土蔵、茶室、腰掛待合及び塀・袖垣、塀)
所在地:越中町
登録年月日:平成29年10月27日
大正から昭和にかけて倉吉の茶道の中心をなしていた住宅です。主屋は左右で棟の位置を違えた外観を持ち、内部は数寄屋風の繊細な意匠でまとめています。茶室は京都の茶人平井仁兵衛の茶室の写しと伝え、外壁を赤く塗る草庵(そうあん)茶室の好例です。
所在地:駄経寺町 鳥取二十世紀梨記念館
登録年月日:平成27年3月2日
鳥取県において明治後期から栽培されてきた二十世紀梨に係る栽培用具を取りまとめたものです。明治後期から昭和期の一連の作業具・出荷具から、養蚕の後継産業として重要な役割をはたした二十世紀梨栽培のあり方が伺えます。
所在地:仲ノ町 倉吉博物館
登録年月日:平成27年3月2日
幕末から大正期にかけて全国的に流通した倉吉の千歯扱きとその関連資料。江戸時代後期から大正期までのものを確認することができ、千歯扱きの形態的な推移がわかります。また関連資料として宣伝広告の引き札や鍛冶職人の行商日記が含まれています。
所在地:仲ノ町 倉吉博物館
指定年月日:昭和31年5月30日
寛政10年(1798)に上灘を訪れた木喰五行上人(もくじきごぎょうしょうにん)の作。像高57.5cm。「寛政十年八月六日成就 木喰五行菩薩」などの墨書があり、勝宿禰(かちすくね)神社に伝わっています。(西郷地区・秋葉大権現参照)
所在地:西岩倉町 吉祥院
指定年月日:令和3年6月18日(南部町賀祥区所有仏像に追加指定)
本来は南部町の十一面観音立像、聖観音立像(県保護文化財既指定)と併せて「白山本地仏」を構成する1体で、貴重な鉄製の仏像です。鎌倉時代の作。総高33.0cm。
所在地:県立博物館
指定年月日:昭和31年5月30日
木喰五行上人作。像高65cm。勝宿禰(かちすくね)神社のものと同形ですが、冠の表現に差があります。墨書がありますが判読できません。神庭神社に伝わっています。県立博物館に出品中です。
・[市指定有形文化財] 菅楯彦筆 舞楽青海波図屏風(ぶがくせいがいはずびょうぶ) 六曲一双
所在地:仲ノ町 倉吉博物館
指定年日:平成30年3月30日
菅楯彦(1878〜1963)は近代大阪画壇を代表する画家のひとりで倉吉と縁の深い画家です。舞楽青海波図屏風は、六曲一双屏風からなる作品で、本作品は「源氏物語」紅葉賀中の「青海波」のイメージを表現したものと思われます。日本の舞楽絵図、源氏絵の歴史においても独自の画境に達した、楯彦ならではの作品となっています。
・[市指定有形文化財] 菅楯彦筆 春宵宜行図屏風(しゅんしょうぎこうずびょうぶ) 六曲一双
所在地:仲ノ町 倉吉博物館
指定年月日:平成30年3月30日
春の宵の薄暗がりのなか、夜店のある通りを老若貴賎の男女が行き交う様子を描いた六曲一双屏風です。人々の姿かたち、屋台や犬などを濃淡をつけた墨でシルエット状にあらわします。本作は、楯彦がライフワークとした浪速風俗画を代表する作品です。月夜に露天をそぞろ歩く人々をシルエットであらわす画面は、楯彦を含む当時の人々が抱えていた近代化により失われゆく古き良き大阪への追懐の念を映し出しています。
所在地:東町 大岳院
指定年月日:昭和31年5月30日
滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」のモデルともいわれる安房国(千葉県)の大名・里見忠義の所蔵品ですが、死後、大岳院に寄進されたと伝えられます。口径32.5cm、高さ4.5cm。口縁は八稜形で地色は緑色。中国製の軟質陶器で明代の作と見られています。
所在地:仲ノ町 倉吉博物館
指定年月日:昭和55年3月4日
昭和28年(1953)頃、山名寺の東方の丘陵にある円墳から発見されました。出土したのは頭から首の部分、右前足、尾ですが、全体が復元されています。県内では数少ない鹿形埴輪(はにわ)の1例です。(上灘地区巌城出土)
所在地:鍛治町
指定年月日:令和2年5月22日
父・吉田たすくが研究復元した「風通織」の技法を受け継ぎ、独自の工夫を加えて新たな表現を積み重ねています。後進の育成にも努め、織物技術の普及や伝承に大きく貢献しています。
所在地:鍛治町1丁目 満正寺
指定年月日:平成16年3月25日
目を彫目とするヒノキ材一木造。像高は約98cmです。平安時代に作られ、右手は体にそって垂下し、左手に宝珠を持っています。衣紋の彫が浅く体部が厚く作られ、古様。平成13年に修理されました。
所在地:仲ノ町 長谷山
指定年月日:平成18年3月23日
江戸時代倉吉を治めた藩家老荒尾氏の墓所は、打吹山の西端、長谷寺の庫裏近くの尾根にあります。初代嵩就(たかなり)から九代世就(せつなり)までの墓碑が整然と配置されており、位牌は満正寺に祀られています。
・[市指定有形文化財] 旧牧田家住宅(主屋・付属屋)
所在地:倉吉市東岩倉町
指定年月日:平成19年2月22日
牧田家は、江戸時代の中頃より「倉吉」で商業活動を行い町役人を務めた商家です。屋号を「淀屋」と称し、大坂で木綿商を商う「淀屋清兵衛」家と密接なつながりを持つとされます。主屋は宝暦10(1760)年建築で屋根を太い垂木で支える独特の構造です。付属屋は天保9年(1838)建築で数奇屋風の広い座敷が設けられ、江戸時代の倉吉商人の繁栄振りを物語ります。主屋は、平成19~20年度に復原修理されました。
所在地:葵町
指定年月日:平成19年7月31日
昭和31年建設のRC造3階建。丹下健三の設計。ロ字型平面の本舎に平屋建の議会堂が接続する。水平線を強調した外観、ピロティや中庭の吹き抜けの採用など、丹下健三の初期の庁舎建築の特徴をよく示しています。
所在地:西岩倉町
指定年月日:平成19年10月22日
18世紀後半に建築し、明治時代後期に通りに面した表半分を瓦葺きの総二階に改造した町家。元の茅葺屋根を背後に残しています。内部は東に広いトオリニワ、西に一列三間を配しています。茅葺町家の歴史を今に伝える建物です。
所在地:新町3丁目
指定年月日:平成22年5月20日
明治40年頃に建築。木造一部二階建、平屋切妻造、瓦葺。下部はレンガ造りで、番台、床板、天井板、タイルなど内装の大半が当初のままで残っています。
所在地:東仲町
指定年月日:平成22年9月17日
明治9年創業の醤油醸造場で、元々の屋号は山白屋。明治40年東宮(後の大正天皇)山陰道行啓の際、随行した東郷平八郎の寝所となりました。明治初期の主屋を残し、大正4年に敷地全体を改修されました。近代的な意匠をもつ大規模商家の店構えで、醸造施設は近代の醤油醸造の形態を良くとどめており貴重です。
所在地:東仲町
指定年月日:平成22年9月17日
主屋西棟の茶室に接した坪庭と中庭(西庭、東庭)で構成されます。西庭は客間に、東庭は居間に面して作られ、両者の格の違いが素材に表わされています。ともに平庭で、緩やかな築山に山の風情を造り、力強い鉢前・長大な沓脱石・大振りの石灯籠を配置しています。明治期の町家の近代的で大規模な庭園として貴重です。
・[県指定保護文化財] 高田酒造(高田家住宅及び醸造施設)
所在地:西仲町
指定年月日:平成22年9月17日
倉吉商家の典型です。本町通りに主屋と仕込蔵が南面しています。主屋は木造2階建、石州瓦葺。西隣の仕込蔵は桁行21間半の長大な蔵があり、後方に中庭、茶室、新蔵、酒造業の諸施設を備えています。玉川沿いはふな場・試験室。主屋は天保14年(1843)、他は明治時代後期の建築です。
所在地:西仲町
指定年月日:平成22年9月17日
天保14(1843)年建築の主屋に面した中庭。鉢前は棗(なつめ)型の縁先手水鉢を据えて水琴窟(すいきんくつ)とし、築山に三尊石を配した平庭です。明治26~29年に倉吉の豪商山形屋の茶室を庭奥に移したといわれ、近世から近代の町家の古式に則った庭園です。
所在地:仲ノ町
指定年月日:平成23年7月25日
東宮(後の大正天皇)山陰道行啓の際の宿泊所として明治37年4月に竣工しました。木造平屋建、入母屋造。施工者山田市平。屋内には御座所・寝殿・浴室・化粧室が造られました。意匠は質実で格式の高い和風建築です。
所在地:葵町
登録年月日:令和元年12月5日
賀茂神社は、双葉山の山頂に鎮座し、山城国(京都)の賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)を勧請して創建されたと伝わります。創建年代は明らかではありませんが、中世は山名氏、尼子氏、中村氏、江戸時代になると池田氏、荒尾氏と代々の領主の崇敬を受けてきました。登録された本殿は、江戸時代末期の建築で、正面一間、背面二間、側面二間、入母屋造り妻入り、銅板葺きで、虹粱上部の龍など、各所を精緻な彫刻で華やかに飾る優美な社殿です。