更新日:2016年12月5日

今を生きる! ~鳥取中部地震を学びの場に~

 10月21日(金曜日)午後2時7分 震度6弱の地震発生!

 中国地区都市教育長協議会の2日目、課題別研究会の後白壁土蔵群を案内し、各県の教育長を見送って自席に着いたときでした。突然体が椅子から浮かびました。縦揺れと激しい横揺れ。書籍は飛び散り、額は外れ、気がつくと後ろの棚にあったテレビは床に落ちていました。揺れが治まった後、市庁舎の裏庭に避難し、同時に避難所開設可能な施設を調査するチームが出発し、災害対策本部が設置されました。

 大きな地震に関わらず、小学生1名が軽傷、中学生がテレビで頭を打ち救急車で搬送されたが治療後に帰宅するなど、大きな被害がなかったのは不幸中の幸いでした。算数の学習中のところ、文化祭に向けて全校合唱の練習中だったところもありました。避難した校庭で、泣き出す低学年の児童をなだめる高学年の姿もありました。数か月前から微弱地震が起こっていたことから、避難訓練をしている学校もあり、適切に対応できたのだと思います。東日本大震災を見て、平成24年に市内小・中学校の耐震補強事業を促進化しましたが、耐震化をしておいて本当に良かったと思います。

 

 大地震という非日常の場において一刻も早く子どもたちの日常を取り戻したい、余震の続く中で耐震性のある学校がより安全ではないかと判断し、24日(月曜日)からの学校再開を決めました。学校給食センターが大きな被害を受けており、副食の提供ができないこと、2000人を超す避難者の数を見て弁当を作ることのできない家庭も多くあることから、当座はパンと牛乳と補助食品という簡易給食を決断しました。こうした状況を見て、ゼリーなど補助食品の提供を申し出てくださった企業、炊き出しをしてくださった保護者や地域の方から多くの支援をいただきました。

 中には、6年生が「豚汁プロジェクト」を計画した学校もありました。避難されている人たちだけでなく在校生の分も作って、みんなでぽっかぽかな心になろうと考えたそうです。途中地震があってお汁がこぼれてやけどしてはいけないので、野菜を切るのは6年、煮るのは大人と役割を分担し、地域・保護者の力を借りて実施しました。

 余震も少なくなり、少し落ち着いてきましたので、11月1日からは弁当持参とします。弁当や簡易給食等を組み合わせるなどいろいろと工夫をしながら、一日も早く学校給食センターを再開し、おいしい給食を提供したいと思います。

 

 この一週間の間に、兵庫県教育委員会の震災・学校支援チーム(EARTH)、熊本県教育委員会の方からも子どもたちの心のケアについてアドバイスをいただきました。また、鳥取県教育委員会はスクールカウンセラー、県内の市町教育委員会からスクールソーシャルワーカーの派遣があり、子どもたちへの対応をしていただきました。

 思い起こすと、平成12年鳥取西部地震が発生したとき、真っ先に鳥取県教育委員会に連絡してくださったのが兵庫県教育委員会でした。「阪神淡路大震災のときお世話になった。何か手伝うことはないか。」の電話に感激しつつ、子ども達の心のケアの研修をお願いしたことを思い出しました。

 今回の地震は決して有難い事ではありませんが、良かったことも数々ありました。このように多くの人々に支えられていることを改めて実感しました。また、簡易給食のパンが甘いと発見したり、避難所の移動作業を手伝ったりする姿に子どもたちの成長を感じました。

 

 駐車場から庁舎に向かう途中、高台の博物館から市街を眺めると、青いブルーシートを被った家並が続いています。ここは美しい赤瓦が続いていたはずなのに・・。思わず胸にこみあげてくるものがありました。対応に追われて張りつめていた気分から、今朝は少し滅入った気持ちになっていました。

 地震直後は確かに緊張感・高揚感がありました。しかし、ふとこれが現実なのか、何かの間違いではないのか、あるいは地震がなかったらと思うことがあります。それが普通なのだそうです。それを受け入れることが大切なのだそうです。大きく腹式深呼吸をすると心が落ち着くのだと鳥取看護大学のボランティアさんから教えていただきました。

 

 「人間は否応なしにこの世界を生きなければならない」遠い昔に聞いた言葉です。

 今、鳥取中部地震という未知な世界に投げ出された私たちは大きな不安の中にいますが、そこから逃げ出すことはできません。この現実をしっかりと受け止めること、そこからすべてが始まると思います。

 大地震という非日常の場で目の前にしていること、懸命に対応している市民の姿,そして、支援してくださる多くのボランティアの姿そのものが、テレビやゲームのようなバーチャルではなく、現実の生活なのです。それこそが学びの場であり、「生きる力」をつけるための一つの教材であると考えたいと思います。

 「苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。」と述べた東日本大震災で被害を受けた階上中学校卒業生の答辞の言葉を今一度かみしめ、次々と出てくる課題にしっかりと対処していきます。

 明日の倉吉の子どもたちの未来のために・・。

 

  平成28年10月31日

倉吉市教育委員会教育長 福井伸一郎