更新日:2025年10月22日
私をハッピーにしてくれた彼
計画訪問どきどきの給食時間。子どもたちは「エラい人がやってきた」と緊張しているのかもしれないが、その中にほうり込まれる(と感じている)どこにでもいるおばさんの私も、心臓がバクバクで、血圧がいつもよりかなり高くなっていると感じる。
ある小学校へ行ったときのことである。
私は4年生と一緒に給食を食べることになった。そのクラスは5人ずつくらいにグループ分けされていたが、私が案内されたグループには男の子と女の子ふたりしか座っていなかった。その日欠席した子がいて3つの席が空いていたため、そのうちのひとつを私のための席に当ててくれたらしい。
人数が少ないおかげで、私たちはとても話しやすい雰囲気になった。「いつも何をしてるんですか」と男の子が質問してきたり、女の子は「この前、川で手長エビを捕った」など色々な話をしてくれた。
すると給食終了5分前、クラスの全員がグループになっていた机を一斉に前に向け始めた。そうすることで、残りの時間で残りの給食を、おしゃべりせず全て食べてしまいましょうということらしい。先にも書いた通り、うちのグループは机ふたつに人が座っていない。なので私も、自分の分と更にもうひとつの机を前に向けた。
と、そのときである。男の子がつぶやくように言った。「伊木さん、ありがとうございます」と。
私は「えっ?」とびっくりした。「ありがとうございます」とお礼を言ってくれたのはもちろん嬉しかったが、驚いたのは「伊木さん」と私の名前を付けてくれたことである。
確かに、その日のスケジュールの給食の所に「伊木さん」と書いてあったし、食べ始める前に担任の先生が「今日は伊木さんが来てくださっています」と紹介してくださったが、それで私の名前を覚えられた児童は、一体何人いただろう。
話をするときに相手の名前を呼ぶのは、コミュニケーションの有効な手段である。「他の誰でもない、あなたに言っているんですよ」という意味を与える。
40年以上前に、元NHKアナウンサーの鈴木健二さんが書かれた「気くばりのすすめ」という本がはやっていて読んだが、本のまっ先に正にこのことが書いてあった。嫁姑の間でも、話をするときに「かよさん」とか「おかあさん」と付ければ、更に関係は良好になるということだった。
「この子は既にそのことを学んで実践できている」感動だった。すごい!と思った。彼は私をハッピーにしてくれた。それにしても、一体いつ私の名前を覚えたのだろう。
名前ひとつ使うことで人を幸せにすることができる。その幸せになった人は、今度は幸せにしてくれた人に幸せを返していくことだろう。
その連鎖が長く長く、繋がっていくことを願っている。
さぁみんなも、人に声をかけるときに名前を呼んでみよう。
令和7年10月22日 倉吉市教育委員会教育委員 伊木 香代